今日は素のコミュニケーションという本を題材に話をしていこうと思ってます。ワタナベ薫さんという方が2013年に書いた本なんですが、読んでみてこれはめっちゃ世に伝えたいなと思って。購入動機はアマゾンサーフィンしていてタイトルに惹かれたことなんですけど、1番この本を伝えたい理由というのは、読んでみて「コミュニケーションは鍛えるものじゃない」と本文に書かれていたことなんです。内容も分かりやすく共感すること山の如しだったので、本文をピックアップして伝えようと思いますのでよろしくお願いします。
著書はワタナベ薫さんで2013年9月30日に初版された本。
ただ、ボクの個人主観が入ることも考慮してくださいね。筆者と思いが違うこともあるかもしれないので、あくまでもボクがこの本を読んでこう思ったということ。本の紹介ではないと捉えていただけるとありがたいです。
特にこの本は「優しい人」にオススメです。ここでいう優しい人とは、「周りの期待に応えたい」「和を乱したくない」という思いが強い人です。
まあタイトルで分かると思いますけど、この本は素でコミュニケーションをとろうねって伝えてる本です(当たり前)。一応言っておきます。
さて、こんなケースありませんか?
「今度の休みにバーベキュー行こう」と誘われると乗り気ではないのにせっかく誘ってくれたから悪いと思ってしまうとか
自分の意見はあるんだけどこれを言ったらあの人と対立しそうで怖いとか。
これって自分の素を出せないことですごく窮屈な人間関係を築いてしまってるんですよね。「誘わないで~」って思う時はその人といるのが嫌になるし、「これ言いたいけど言えない・・・」という時間は自分の欲求を出せないことから不快な時間を過ごしているんです。
でも、本当に自分の素を出して周りとうまくやっていけるの?と思う人が大半だと思います。そんな人は【素を出したら嫌われるかもしれない】という意識がある人なんですよね。そもそもの話、
と思ってますよね。でも、「どうなればゴキゲン?」という観点からみると、「他人と良好な関係を築ければゴキゲン」なんです。そのためには素で相手と接することが最も効果を発揮するってことなんです。(今から説明します)
そして思わぬ副産物もあります。それはこちらが素で接すると向こうも素で接してくれやすくなるんです。相手もあなたと同じような優しい人ならいらぬ気遣いが減るってことなんですよね。お互いがいらぬ気遣いせず素を見せることで相手の「腹」が分かる。
あなたが自分の気持ちを偽ってるなら相手もその言葉から判断しないといけないし、それ以上のこととなると本当はどう思ってるの?を察してあげないと、となるんですけど、素で接してくれたらそのいらない気苦労が必要なくなるんです。
だから副産物は信頼です。あの人は思っていることを話してくれてると感じることが出来ると、嘘偽りない誠実な人だと認識するから信頼されやすくなるんです。
ね、素のコミュニケーションっていい感じでしょ?お互いがよくなるならやっぱりそうするのがいいですよね。
さて、ここで例を出しますね。ちょっと想像してみてください。
お隣のマルシアがお土産にゴーヤのバームクーヘンを買ってきてくれました。でもゴーヤのバームクーヘン、あなたは大嫌いです。でもマルシアはこれ美味しいのよ~~~って笑顔で渡してくました。
優しいあなたは断りたいけど断れないですよね。せっかく私のために買ってきてくれたという気持ちを考えると断れないんです。悲しませるとか怒るかもとか、そんな気持ちが湧いてきてなかなか素を表現することができないんです。
受け取らないと人間関係が悪くなりそうで困る
美味しかったと言わないとなんかぎくしゃくしそうで困る
美味しかったというとまた買ってきそうで困る
どうです?
いっぱい考えてると、断るといろいろ困るになりますよね。こんな時素を出せないからめっちゃ窮屈でしんどい思いするんです。
Aと言うとBになるからCと言っておこう。
でもそうするとDという状況になってそれを放っておくとEという事態になってしまう。そして・・・・・・
これを例に合わせると
未来に対して常に不安を抱えている人は最悪の場合を考えてそうならないようにする行動の癖があるそうです。コミュニケーションにおいてもその傾向が強いです。でもそうすると確かな正解などないコミュニケーションにおいては解決に結びつきにくくなり、何を選んでもダメだと思ってしまって結果自分自身をしんどくしてしまうのです。これが冒頭でいった素を出せない優しい人の特徴の一つです。
こんな時、状況によって変わらない自分を中心にコミュニケーションを組み立てていくことが大事なんですよね。
この場合、変わらない自分とは「ゴーヤのバームクーヘンは嫌い」だということです。もらった瞬間に嫌いな食べ物を好きになるなんてこと無理。だから模範解答としては
みたいな感じです。相手の気持ちに配慮しながら自分の気持ちを表せている例ですね。また、「他人の目を気にする状態」から離れて「自分の気持ちを大切にしている状態」です。先の例、来た玉をただ素直に打ち返しているだけなんですが、それが自分を大切にしていることと同様であるということを覚えておいてください。
もう一つ、先程も話したことなんですが、こうやって「〇〇が嫌い」とかを話してくれる人はその人のことを理解しやすいんです。あ、この人はゴーヤバームクーヘンが嫌いな人なんだ、と理解出来るんです。
この人のことを理解できた→分かりやすいとなり、その人となりがイメージしやすくなって対応しやすいのです。そして相手自身も着飾っていない自分を見せているからそのまま理解されやすく、自分=思われてる自分になりやすく変な幻想を描かれなくてすむようにもなるんです。ちなみにこれは裏表のない人という認識もされやすくなりそれはそのまま信頼にもつながっていくんですよね。
さて、ここでちょっと「素」とはちょっと違った話になるかもしれないけどコミュニケーションにおいて大事なことを話します。それは「先読みしない」です。たとえばこんなケース。
「今度旅行するつもりなんです」
「どこですか?もしかしてチョモランマですか?ボクあの山大好きなんですよね~」
「いえ、香川県です。うどんの旅に出ようかと思ってて」
「そうなんですね!香川なら電車かな?電車から見える景色最高なんですよ!」
「いえ、車です。うどん屋めぐりは車の方が便利なので」
「そうなんですね!お達者で!」
と、こんな感じで先回りされるとなんだか嫌な気分になりませんか?
すぐに結論に結びつけようとする人
誘導尋問で会話の主導権を握ろうとする人
これはやはりいいコミュニケーションをとることは出来ません。
「今度旅行に行くつもりなんです」
「おお、いいですね。どちらまで行かれるんですか?」
「香川県です」
「香川県なんですね。ボクは香川県といえばうどんしかでてこないんですけど、香川県のどちらまで行かれるんですか?」
「はい、そのとおり。うどん巡りの旅をしようかと。香川は風景もいいので写真を撮るのも楽しみにしています」
「それは楽しそう。ボク、風景写真見るのが好きなんです😊」
全然イメージ違いますよね。結論を急いでないし会話の主導権を握ろうともしていない。このように自分が話す内容に寄り添ってくれてじっくり聞いてくれる人の方がこちらは満足度の高いコミュニケーションが出来ますよね。
話を戻して、「素の人」についてです。素の人というのは
「人に自分の弱みを見せる強さ」というものを持っています。
昨日振られたという事実がある時に
「昨日告白して振られたんだ(泣)」という人と「今お付き合いしている女性はいません」という人。
この文面見るだけならどっちの人と良いコミュニケーションとれそうだと思いますか?ボクは振られたんだという人がこの人は自分のことを隠さずに話してくれる人なんだと思って好感が持てます。
素を見せたら相手が引くかも
コンプレックスを開示出来ない
変な癖が出たら恥ずかしい
こんな気持ちも確かに少なからずあります。でもその背後には
好かれたい
嫌われたくない
見くびられたくない
こんな感情があるんですよね。
そんな感情は「執着」からきています。良い評価を得たいという執着から素を見せたくないんですよね。その執着は他者評価であり自分でどうすることも出来ません。だからこんな場合はコントロール出来ない他者評価に依存せず、自分の自尊心を大切にすることが大事なんです。
自尊心とはそのままの自分を認めること。弱さも認めて隙があることも認めて、自分をよく見せないようにする。つまり、素であること。それがいい関係性には大切になってくるんです。
他者評価で生きていくと人生は自由にならないので心豊かになっていきません。だから~~したい、~~でありたい。こんなシンプルな軸を持って生きていくと他者評価で生きていくよりも全然ゴキゲンな毎日を送れるようになるのです。
自分を認める、自尊心を高める。そんな方法も書いてくれてます。それが
自分自身にプラスの言葉をかけることです。
「これでよし」
「大丈夫」
「なんとかなる」
「きっとできる」
こんな言葉を自分自身に投げかけ潜在意識から自尊心や自己承認感を高めていくんです。これは繰り返すことで育っていくので毎日言葉をかけるのがいいそうです。
自尊心を育ててありのままの自分を認める、好きになる。それで素のコミュニケーションが出来やすくなります。
また、今から書くことはすごく理解してほしいところです。ここを勘違いして「素」というものを把握されるとおかしな方向にいってしまうからです。それは
自分のやりたい放題やることと素を見せることは全く違うことです。
「本当の私を受け入れてほしい」
「お世辞やおべっかは嘘つきと同じ。私は本音だけで生きる」
これは自分の感情に沿ってやりたい放題しているだけ。ボクが思うに素というものの本質は「私はこう考えている」という「思考」なんです。その思考を相手に伝えるのが素のコミュニケーションなんです。思ったままの感情をぶつけると相手も感情を投げ返してきます。それがポジティブな感情ならいいかもしれませんが、ネガティブな感情をぶつけるとネガティブな感情が返ってくるのでそれは当然いいコミュニケーションではありません。
だから大切にするのは私の感情ではなく私の考えていること。それが独りよがりにならない「わたしたち」のコミュニケーションなんです。
ボクが表現するならこんな言葉になります。
もちろん失敗もあります。
「社長、このゴルフ場はナイター設備があるから日が暮れても大丈夫です!」
このように相手を思いやっていながらも不快にさせてしまうこともあります。それは仕方のないことです。そんな時は反省して次につなげるしかないのです。
そして最後に、ボクがこの本を読んで最も響いた言葉を紹介して締めくくりたいと思います。それは
優しい人は相手に喜んでほしいはずです。でも見返りが自分の犠牲では自分が疲弊していきます。また本当の意味での相手のためにもなりません。なぜならばあなたが偽りの自分を見せていることは相手にとっては悲しいことだからです。逆立場で考えると分かります。嘘の自分だけ見せられても辛いでしょ?
最後にボクなりのまとめます。
自分の好きなことを伝えよう
自分の嫌いなことを伝えよう
自分の主張を伝えよう
でも、相手のことを慮りながら伝えよう。
大丈夫。
それが心豊かにゴキゲンで生きていけることになりますから。
あ、本当の最後になりますが、これを聞いても素で話せないこともあると思います。人間はそんな簡単に変われないしどうしてもネガティブな部分を捨てる事が出来ません。だから、そんな自分も受け入れてあげてください。それもあるがままの自分です。それでも自尊心は緩やかに育ちますから。
緩やかに豊かに。
ゴキゲンになっていきましょう😊
※『素のコミュニケーション』にはまだまだいいこといっぱい書いてます。めっちゃオススメの本ですので是非一読してみてください😊