神様はボクらに
「忘れる」という素敵で
そして残酷な能力を与えてくれました。
どんなに苦しい痛みでも
刻が立てば少しずつ柔いでいき
どんなに感動的で感慨深いその瞬間も
刻が立てば少しずつ薄らいでいきます。
それでもなお
真に「忘れさる」ことはないのだと思います。
必ずどこかには持っているんだと思います。
おそらくそれは
無意識レベルになることもあるでしょう。
その無意識とどう向き合って生きていくか。
心のどこかに眠っている痛みとどう接するのか?
その感慨深い気持ちとはなんなのか?
それらとの向き合い方1つで、
人生の豊かさが変わっていくような気がします。
無意識。ここでいう無意識は感情です。
ボクは感情は無意識の賜物だと思ってますから。
心の痛みも幸せも感情です。
どんな感情で日々過ごせるのか。
大きな感情の起伏が来た時に、どう行動するのか。
どんな言葉を発するのか。
そんなことで人生の豊かさが変わっていくんじゃないかって。
そんなことを思っています。
![忘却](http://kawarasista.com/wp-content/uploads/2016/12/c8192a23e914322dbbfbe5c537e13d28.jpg)
そして
神様はまた違った
「覚えてる」
「思い出す」
という能力も与えてくれました。
それは心の片隅で。
それはあるきっかけで。
それを神様の粋なはからいと捉えるか
それもまた残酷と思うのか
何書いとんねんと思うのか
そもそも神様ってなんやねんとバカにするのか。
そんなことでも
人生は変わっていくのでしょうね。