いつもblogを書くときは座って書いている。ちなみにほぼ100%パソコンで書いている。iPhoneでももちろん書けるんだけど、フリックで長文はまあまあストレス。キーボードを打つ方が気持ちいいし手も進む。
でも今は横に寝っ転がって書いている。たまには気分転換も必要だ。
でも座った。ずっと寝てるのは打ちづらいし逆に疲れる。
と書きながら今日何書こうか探してる。
もう後1時間半で今日は終わるのにまだ探してる。
うん、絞り出すってしんどいね。
全然出てこない。
そんな日もあるって分かってね。
さあ、ここまで読んであなたはどう感じているだろうか?
「そうだね、そういう日って絶対あるよね」って思ってもらえるのだろうか?それとも「そんなんだったら書かなくていいのに」って思うのだろうか?
もちろん、ボクはそういう日もあるよねって思ってくれてると想像しながら書いている。じゃないと書けない。
でも
そんなんだったら書かなくていいのに。バカなの?っても思われてるよねって想像しながらも書いている。
そう、ネガティブなこともちゃんと考えて書いているのだ。
うんうん、そうだねって思ってもらえるのが嬉しいけど、そうじゃない人もいるよね。
と思っているのだ。
人にとっての永遠のテーマ、実はそれが今回のテーマ。人にどう思われているんだろう?ってことだ。
人にどう思われているんだろう?
これを1ミクロンも考えずに生きているのはいないだろう。それは一切愛のない人と同義語になるからだ。どう思われているかを考えない人は、相手の求めることを1ミクロンも考えない人ってこと。優しさのカケラもない人だ。それはもう人ではないといっても過言ではないんだと思う。
だから、人にどう思われているかを考えてしまうのはいいことなんだ。それはれっきとした人間活動なんだから。いいことっていうのは言いすぎかもしれないけど、そう考えてしまってもいいんだ。だから大丈夫だ。
どう思われているかなんて、それを聞いた人の数だけある。なるほどって思う人もいれば、真っ向から違う意見の人もいる。なるほどなって思ってくれた人の中でも細かな意見は違うし、共感部分も微妙に違うだろう。十人十色、70億人70億色だ。だから、気にするのは当たり前のことなんだけど、気にし過ぎても仕方のないことなんだ。
人にどう思われているかを気にしすぎて自分の言動に制限がかかるのは、やはり自分を生ききれてないと思う。出来れば、主体的な生き方をしてほしい。
でも、それは本当に難しいことだと思う。だから今すぐに出来なくていい。ゆっくりと、緩やかに豊かに行動出来ればそれでいい。それがいい。
今出来てなくてもそれでいい。
出来ていない自分も認めてあげたらいい。
それはより良くなる途中なんだから。
さあ、今あなたはゴキゲンかい?