ども、瓦ジスタです。
今日は感性について書いてみたいと思います。
感性って何なのっていうことをまずはグーグル先生に聞いてみます。
感性:印象を受け入れる能力。感受性。また、感覚に伴う感情・衝動や欲望。
おいおい、まじかよ!?
実はボクは感性と感受性は違うってことをこのblogで書きたいと思っていたのに、感性=感受性って説明になってるやん。
あかん、これはあかん。
だから、グーグル先生を無視します。ごめんね。
その前に、グーグル先生に感受性って何ってことを聞いてみたいと思います。
感受性:外界の刺激・印象を受けいれる能力。物を感じとる能力。
ふむふむ。これは思ったとおり。これはこのままの意味でだいたい大丈夫。でもちょっとだけ変えよう。感性の意味の定義だけ超オリジナルに変換してこの記事を書いていきたいと思います。
感受性が高い人っているんですよ。
これは、外部からの影響を受けやすい人ってことです。外部っていうのは、見たことや聞いたことってこと。それを通して、ある一定の感情が湧いてきて、その感情に左右されやすい人のことを感受性の高い人っていいます。これがボクの思う感受性が高い人です。
以下、この定義ですすめていきますから、グーグル先生ではなく、瓦ジスタ先生についてきてね。
外部からの影響って当然いいことも悪いこともあるわけですよ。どす黒く闇に包まれているような刺激もあれば、本当に心洗われるような清廉な刺激もあります。自分にとって心が拓けたり、温かくなるような感情をより多く受け取ることができればいいんですが、残念なことに、ただただ感受性が高いだけの人は、得てして影響を受けるべきでない方により影響を受けてしまうのです。
感受性の高い人は、愛が深い人。それだけに他人に必要以上にシンクロしてしまい、深刻なほど自分事のように捉えてしまう。そして、それはストレスとなるのです。
悲しいことに感受性が高いだけでは、本当に自分らしい人生を歩むことが出来ないのです。それだけでは、影響を受けたモノの人生を歩むことになってしまう。
だから、感性が必要なのです。
あ、付け足しておきますね。
感受性が高い人は、もうそれを低くすることは出来ません。いい意味で鈍感力の高い人がいますが、感受性が高い人は絶対にそちら側にいくことは出来ません。
自分らしく生きていくには、自分の人生を歩むためには、感性が必要なのです。
瓦ジスタ先生が教える、感性とは
本質を把握し、創出する力のことです。
うおっ。ややこしい。
もうちょい分かりやすく書くと、
なぜそれなの?なぜそれを言っているの?ってことを深く探究し、その根っこをちゃんと理解すること。
そしてそれを、自分らしく表現する能力のことです。
感性ってこれだけで片付けることが出来るような簡単なモノではありませんが、ボクが短くまとめると、こういう表現になります。
そして、その感性は高めることが出来ます。
本をみる
演劇をる
絵画をみる
漫画をみる
そして、自分の感情を揺り動かさす。
または、自分の思考を一旦ストップさせる。
ヨガとか瞑想。
そんなことでしょうか。
で、大事なことは、それをアウトプットすること。
その時々の感想をちゃんと書くことです。
それで感性は磨かれます。
人間は本来感受性のみを持って生まれてきました。そして、自分が置かれている環境で感性を養ってきました。だから、人によって感性に大きく差があるのです。自らが置かれてきた環境によって、感性が発達してこなかったという事実もあるのです。
でも、いつになっても感性を磨くことは出来ます。
感受性だけではダメなのです。
それに伴った感性が必要なのです。
ちなみに、ボクは感性はそんなにある方ではありません。しかし、書くということを毎日取り組んでいるので、普通の人より感性があるのです。
これ、驕りではなく、事実ですからね。
今日の瓦ジスタ先生は、教科書には載っていないオリジナルの表現です。
でも、共感してくれたらうれしいなって思う。
そんな感じです^^