2年前くらいかな?
ワクワクって言葉の中には、ドキドキとハラハラが含まれてるって思った。数値化してみると、ドキドキが8割、ハラハラが2割。もちろんこの数値はテキトーで、この二つしかないってこともない。ここで言いたかったのは高揚感とリスク。この二つがワクワクには含まれてるよねってこと。
ワクワク=冒険
そんな捉え方も出来る。好奇心や探究心をもって行動するけど、そこにはやっぱり危険が潜んでる。けど危険は省みず突き進む。そんな感じ。事前準備はしっかりしてても、何が起きるかは分からないしね。
ワクワクするってすごいポジティブな言葉。なぜなら結果が関係ないから。未来の良い結果を想像することと、その過程も楽しめていると想像すること。
リスクを取っているはずなのに必ずうまくいくという確信があって不安なんてほとんどない笑
そんな想像をしてます。それがワクワクするってことだとボクは思ってます。
で、ワクワクしたい。
これは誰もが思うこと。思わない人はヤバイです。
やっぱり人生は一度しかないから、ワクワクする方に自分を導きたいと誰しもが思ってるんじゃないかな?少なくともボクはそっち側に導きたいと思ってます。ニコニコして、イキイキして、ノビノビして人生を謳歌するのはそっち側だって思ってます。
がしかし。
人間だから、ワクワクもしたいですけど、安定もしたいです。どれほど安定していればいいかは人によって基準が違いますが、例えば毎日食べるのにも困るような状況では、ワクワクする方より安定する方を選ぶ。ボクはそう選びます。家族もいるからね。
ワクワクする道と安定する道。正反対とは言いませんが、対極に近いのがこの二つです。
そんなことから、このツイート。
ワクワクには、ドキドキとハラハラが含まれている。ドキドキは高揚することで、ハラハラはリスクをとること。リスクがあるから、親はワクワクする方に行けとはなかなか言えなかったりする。
そんなことないですか?#というblogを夜書こう#文字数以内でまとまらない#朝ゴキゲン風 pic.twitter.com/I8KLDfEFVh
— ガジスタ☆藤田隆志 (@kawarasista) 2018年3月8日
ワクワクには、ドキドキとハラハラが含まれている。ドキドキは高揚することで、ハラハラはリスクをとること。リスクがあるから、親はワクワクする方に行けとはなかなか言えなかったりする。
画像は、Twitterだから140字にまとめなきゃいけないんだけど、それが出来なかったから謝りました。
今回このblogで言いたかったのはここから。
ワクワクしたい。自分自身もそう思ってる。それは当然我が子にも、ワクワクして人生を楽しんでもらいたいと思ってる。
なんだけど、ハラハラは見たくないから、自分より安全や安定を目指してほしいと思ってる。
そんなことないですか?
このツイートからこんなリツイートもありました。
本人はドキドキで、 親はハラハラで、 ノビノビさせてやれないときが チョイチョイあります。
それで、そんな自分にモヤモヤしたりイライラしたり。
リスクを知ることも 大切な学びだし経験なんだけどねー。
未然防止に動いてしまうことがある。
いつも その狭間でユラユラ揺れてます。
すこぶる共感です。
リスクを知ることは大切なことなんだけど、リスクをとってほしくない。
ワクワクして人生を歩んでほしいけど、しっかりと安定した生活をしてほしい。
そんな狭間で揺れている。
愛ゆえに自分の思うように生きてほしいし、愛ゆえに心配。
そうなんだと思います。
そしてね、優しい人は次のようなことまで考えていきます。
私は子どもの足枷になっていないか?
私は子どもを支配しようとしていないか?
私は子どもの可能性を奪っていないか?
出来るなら不安のない生活をしてほしい。苦労しないで生きてほしい。つまり、安定した生活を送ってほしい。でもそれはやりたいと思っていることを止めてるんではないだろうか?
優しい人ほどそう思ってしまいます。
ここでいう優しい人とは、心配性の人です。「人」を「憂う」と書いて「優しい」。憂うとは、心配して思い悩むって意味ですから。
でね、ここでそんな人に、ボクの持論を書いていきます。長くなったけどここからが一番伝えたかったことです。優しいあなたへです。
①可能性を信じてあげる
命に危険を及ぼすようなリスクはボクも強く止めるかもしれませんが、それでも飛行機に乗るなとは言わないです。飛行機に乗るのもなかなかのリスクですよ。かの有名なサッカー選手デニス・デルカンプ選手は大の飛行機嫌いで、飛行機移動は絶対にしませんでした。それは彼にとって相当のストレスで、飛行機に乗ることは超リスクをとることだったからです。
話がそれた。そんな話どうでもよかった。
リスクをとってもいいって親の立場からなかなか言えないと思います。だからね、ちょっとこんな考え方はどうかなっていうのを書きますね。
それはまず、可能性を信じてあげることです。可能性を信じてあげることは、リスクを取ることの許容が少し深くなるからです。この子は出来るって信じて期待することです。
それで失敗してもいいじゃないですか。
これも言えることなんですけど、失敗は成功への途中とか、失敗なくして成長なし。痛み知らずして人に優しく出来ない。そんなことが腑に落ちて自分は理解してます。でも子どもになるとその腑に落ちてることを素直に受け渡すことが出来ません。これも愛ゆえになんですけどね。
何かにチャンレンジしようとしているときには「楽しみにしてるよ!」と伝えてあげれば、それでいいんだと思います。
②失敗しても折れない心を育てる
親の役割って、ワクワクする道を選べということでも、安定した道を選べということでもありません。
親の役割は、それを自分自身で決めれる心を育ててあげることだと思います。主体的な心を育てることだと思います。
主体的って「率先」と「責任」。自ら動くこと。責任は自分にあるということ。そういうことなんだと思います。こういう心を育てることが出来ると、失敗は成長の元であり、失敗は成功の元になるんだと思います。
そして親として出来ることは、たくさんのチャレンジとたくさんの小さな失敗をあえて経験してもらうこと。それは主体的な心を育てることになるはずです。
親は「経験」というかけがえのない財産をプレゼントすることが出来ます。優しいあなたは、失敗ではなく「経験」をプレゼントするんだって思ってください。
③私はここにいつもいる
そして最後に、私はここにいるからと、その子にとっての居場所をちゃんと作ってあげること。
それが大事なんだと思います。成功しようが失敗しようがその子の付加価値は一切関係なく、ただただその子がいてくれるだけで、ありがとう。そんな気持ちです。それは、その子に帰る場所がある、ここに生まれてよかった。そんな自己受容を深めてくれるんだと思うのです。
まとめます。
子どもにはワクワクしてほしいし、安定もしてほしいです。つまり、その子なりの幸せな人生を送ってほしいのです。そこで大事なのが、親の価値観での幸せではなく、子どもの価値観での幸せを送るということ。それには親が出来ることは
可能性を信じてあげる。
失敗しても折れない心を育てる。
私はここにいつもいる。
そんなことをなんじゃないかなって思います。
でも、それでも狭間で揺れるのが人間です。究極に心配しないということは、存在そのものを忘れ去り消し去ること以外にないですから。
揺れてもいいから、ボクとしてはこの記事に共感してほしいなって、そんな思いでいます。
それは、ゴキゲンにつながるはずだから。
では今日もゴキゲンで。
Twitterによる更新すると書いたのに書き終わらなくて朝になってしまったことをここに報告しておきまする。