刹那(せつな)。
実はめっちゃ前から書きたかった内容。
なんで、ちょっと書いていきたいと思います。
刹那っていう言葉にめっちゃ惹かれたのは10年前くらいかな?当時好きだった漫画「魔人探偵脳噛ネウロ」の登場人物の名前が刹那でした。
刹那は不治の病いに侵食されていく人。1日1日と人格が変わり、終わりも近づいていく人。そしてその刹那の病いを治そうとする数学者との巻はボクの中である意味伝説の物語となっています。
ここは読み飛ばしても大丈夫なトコです。
それは1年前くらいに遡るかな?
あるネットニュースが流れてきました。
ある大統領が放った発言。
男女は平等ではなく、対等であるべきだ。
※詳しく知りたい人は、「トルコ大統領・平等じゃなく対等」で検索してみてね。
この言葉が発せられた時は、結構炎上したみたい。
平等に扱わなければいけないだろっ!ていう感じでね。
でも、ボクはこの発言はめちゃくちゃ腑に落ちた。
まあボクが思ったのは、男女関係なく、人間一人一人が平等なんてことは絶対にないだろうってこと。
性別も違う
顔も違う
色も違う
身長も違う
持っている能力が違う
思考が違う
一人一人がみんな違うのに平等なんて無理。そう思った。
出来ることが違うのに、無理やり平等にしなくても。
ボクの思考はもともとそうだったけど、この発言はそれをさらに加速させた。
じゃなくて、対等。
みんなそれぞれ、違うんだ。だからその違いを認めようて尊重しようって話。
それが、対等。
集団の中の個性の尊厳化。
ボクはそう思ってる。
みんな違ってみんないいって言葉、聞いたことがあると思う。これってそういうことじゃないかな?
たまーに自分と違うからって、もうその人を敵視するような人を見ることがあります。それは超ナンセンス。自分は人と違うことに優越を感じているくせにそんな目で見てしまう。それはある意味妬みです。あなたの能力のなさの露呈です。気をつけてね。
伝わってますか?
でね、そこで考えたことがあるんですよ。
平等ってなんだろう?って
世の中に平等があるのか考えた。で、ボクなりに答えが見つかった。それはこの世の中でたった二つ。
死と刹那のみ。
「死」に関しては、みんな平等に与えられるって話は説明するまでもなく分かってくれると思うから深く語らない。
「刹那」
人に平等に与えられるモノとして、時間っていう人がいるけれど、それは少しだけ間違っていると思う。与えれた時間は人によって全然違うんだ。短い人もいれば、長い人もいる。それは、宿命だ。すべての人が100歳になった瞬間に最後を迎えるってことはないのだから。
平等に与えられるのは本当に一瞬のみ。刹那のみ。
だから、平等に与えられたモノをどう生かすか、が人生を決めるんだ。
何かを成し遂げたい時がある。
そこに行き着くまでには、しなければいけないことがたくさんある。
だからその過程も大事にしなきゃいけない。
どんなに辛くても、そこに希望は持っていなきゃいけない。
愛が溢れていなければいけない。
楽しみと喜びもどこかに持っていなければならない。
なんでこんな事しなきゃいけないんだと思いながら刹那を積み重ねるのは、なんか違うと思いませんか?
今やっていることが本当にしんどいことでも、夢や希望への過程なんだと思うことが出来れば、刹那の生き方が変わってきます。
刹那という時間を大切にし、それを積み重ねていく者が人生の成功者だと思います。
過去を見て、未来を想い、今を歩く。
刹那を真剣に生き抜く。
今この一瞬、あなたはどう生きていますか?
過去も未来も今の心にしかないのです。
でも、たまに落ち込む時だってあります。でも、それも必要なことなんです。それがないと夢や希望もないんです。そんな刹那も受け入れることが出来たなら、人生はよりよくなるのかもしれませんね。