今日はある人からのメッセージを紹介します。
ボクがLINE@で質問したことに答えてくれました。がっつり答えてくれたので単独で載せます。この事実のボクの見解を書いていきたいと思います。
ゴキゲンLINE@→☆☆☆
まず、ボクがこう送りました。
するとこれに関して5人の方が返答くれました。ありがとうございます。めっちゃ嬉しいです。
で、ある一人の女性が自分の体験談を書いてくれました。許可をいただいてますので載せますね。よかったらあなたも自分がこうなったら、自分の大切な人がこうなったらどうするか?を考えてみてください。
13歳の私が死にたくなるほど辛いと思った出来事
LINEを読ませていただき、これまでの人生で、初めてクヨクヨ、メソメソ、をがっつり経験した忘れられないエピソードが蘇りました。
中学一年のとき(遥か昔ですw〕仲良しだったはずの友達に突然無視されはじめた事、これはかなり堪えたので今も鮮明に覚えています。自分の何がいけないのか全く理由がわからず、休み時間のたびに三人くらいでヒソヒソと悪口を言っている、その子が何を言ったのかもわからないまま、次は三人に無視されはじめました。休み時間になるのが怖くて、辛すぎて、一人で図書室にこもって泣いていました。今思えば、私何か悪いことした?って聞いて問題解決すればいいと思うのですが、多感な時期でこれまでそんな経験のない私は、クヨクヨ、メソメソの深い泥沼にドッポリはまってしまい、まるで悲劇のヒロインでした。
簡単に言えばこれはいじめだと思います。しかも相当の。仲良しだったはずの子から、理解の出来ないこの仕打ちは本当にきつかったと思います。
そして悔しいことに、ゴキゲントレーナーとしてこの時のこの子をクヨクヨメソメソから救ってあげる方法は全然浮かびませんでした。
もっと大人なら、ボクがずっと伝え続けているゴキゲン思考を話すと思います。大丈夫だよとか、この事実の捉え方を変えようねとか、逃げてもいいよとか、しっかりと話を聞いて寄り添ってなんとか少しでもゴキゲンに、と。
しかし、中学一年生の女の子、しかもいわゆる悪者からのいじめではなく、ずっと仲良しだった友達からの無視といういじめ。大丈夫だよとは軽々しく言えないです。捉え方を変えようと言ってもこの状況でこの歳なら絶対に届かないです。「なぜそんなことするの?」というクエスチョンで頭はいっぱいで、でもそれを聞くことが出来ない辛さと無視の辛さ。
この場合は原因である、なぜ無視をしたのか?を聞き対処する他にはなかなかいい解決が出来ないです、ボクは。自分が変わればいいといいますが、それが無理なことだってあります。特に子どもなら。
でもボクが親の立場としてこの子と接するなら、また少し違ったりします。ゴキゲントレーナーとしてこの子と関わるならいい方法が浮かびませんが、親として接するならこうあるべきってのがあります。
それは、どんなことがあろうとこの子の味方であることです。
ボクは本来、敵と味方という区別が嫌いです。そこには対立しかなくどちらかが勝つか負けるまでその立ち位置は変わらないでしょう。だから普段ボクは、仲間とそれ以外の人たち、という括りでいようねって話します。
ですが、親の立場なら必ず味方でいます。もちろん何かしらの過ちをおかしているのならそれは謝るべきと説くでしょう。でもこのように意味が分からなくて孤立してしまった時は必ず味方でいることがとっても大切だと思うのです。口が裂けても「お前がなんか嫌なことしたんと違うんか?」などとは訊きません。
この状況ならボクは
と伝えるでしょう。
その上で、
と伝えるでしょう。
逃げる味方にもなるし、立ち向かう味方にもなります。
でもね、これは信頼関係が出来ている親子ならの話です。普段から一つも子どもの話を聞かないど阿呆は子どもをさらに孤立させます。(だから、いきなりゴキゲントレーナーが解決、なんてのはこの問題は無理なんです。信頼関係がないから。)
あなたがこの子なら、どうしていますか?中一の頃の自分を思い出して想像してみてください。
あなたがこの子の親なら、どう対応しますか?いや、それよりも対応するための日常を過ごしていますか?(あなただけでなく、あなたの旦那さんや奥さんが対応してあげる日常を過ごしているか考えてみてください。)
ボクが今回伝えたかったのは、クヨクヨしない方法ではなく、クヨクヨしている子とどう接するか、接することが出来る日常を過ごしているか?と自問してもらいたかったからでした。
実は、このメッセには続きがあります。
このメッセから、またボクはゴキゲンを学べた気がします。
本当にありがとう。
LINEを読ませていただき、これまでの人生で、初めてクヨクヨ、メソメソ、をがっつり経験した忘れられないエピソードが蘇りました。
中学一年のとき(遥か昔ですw〕仲良しだったはずの友達に突然無視されはじめた事、これはかなり堪えたので今も鮮明に覚えています。自分の何がいけないのか全く理由がわからず、休み時間のたびに三人くらいでヒソヒソと悪口を言っている、その子が何を言ったのかもわからないまま、次は三人に無視されはじめました。休み時間になるのが怖くて、辛すぎて、一人で図書室にこもって泣いていました。今思えば、私何か悪いことした?って聞いて問題解決すればいいと思うのですが、多感な時期でこれまでそんな経験のない私は、クヨクヨ、メソメソの深い泥沼にドッポリはまってしまい、まるで悲劇のヒロインでした。
そして2週間くらい経ったでしょうか?突然何事もなかったかのように元に戻りました。え?なぜ?と思いながら、問いただす事も出来ず、私も前のように普通に接しました。
それから高校3年までずっとその子とは仲良くしていましたが、あの時の辛さと疑問が胸の奥に引っかかったままでした。ついに高校卒業で離れ離れになる時、その子から手紙をもらったんです。
「小学校からずっと一緒で仲良くしてくれてありがとう、中一の時すごく意地悪して本当にごめんなさい。あの時は好きな先輩に話しかけてもらえる庄司ちゃんが羨ましくて、わざと盗ろうとしてると言いふらしました。ずっと謝りたかったけど、いつ言っていいかわからず、何も言わない庄司ちゃんに甘えて、こんなに遅くなってごめんね。許してくれるなら、これからもずっと親友でいて下さい。」
と書かれてあって、号泣しながら一気に胸のつかえが取れて、心が解放されました。今でもその子とは親友です。
この経験から、想いはちゃんと口に出して伝えるべき、怖がらずに正面からぶつかるべき、と言うことを学びました。お互い誤解から生まれるクヨクヨだってありますもんね。13歳の私が死にたくなるほど辛いと思った出来事は、今となればたわいもない事に思えるし、クヨクヨ、メソメソがあるから、ゴキゲンな自分を心から幸せだと思えるんだと思います。ネガティブな感情に支配されるのは不幸だけど、ネガティブな感情を経験するからこそ、人は成長できるのかなと思います。私は33歳の時に命に関わる大病をして、入院生活を送りましたが、有難い事に生かされました。子供が小さかったので、絶対死ねない!絶対治してみせる!!との想いが強くて、メソメソする暇がありませんでした。クヨクヨ、メソメソ出来るのも生きているからこそ、そう考えるとなんだか有り難く思えますよね!とりとめもなく書き連ねてしまいました、、今日もゴキゲンで過ごせますように♪