役に立つ方法や貢献出来るblogが書きたいというのはみんな思っていることだと思う。でもほとんどの人がそんなに毎日出来ないよって思ってるし実際出来てない。それはボクも同じで毎日更新出来ているわけではない。今日で4日連続で書けているけどそんなことは稀だ。その前はだいぶ日にちをあけてしまった。
そんな時は、前に書いたblogを参考にして、少しニュアンスを変えて投稿したらいいんだなって気づいた。どのblogを参考にしたなんて自分にしか分からないはずだから。いや、むしろこれを分かってくれたらその人はボクのことをめっちゃ好きでいてくれているのだろう。そんな人にいてほしいかもしれない。
じゃあ今日のblogを書きます。
えっと、今冒頭の文で書いたこととリンクするんだけど、同じようなことを繰り返してもいいんだよね。だって、人は忘れる動物なんだから。今まで起こったことを全て覚えている人なんてこの世にいるはずはない。なぜなら「痛み」を覚えていたら平然と暮らすことは出来ていないはずだから。「痛みを忘れる」ことでボクらは生きていくことが出来る。
それは心の痛みも同じこと。心配、気苦労、不安。そんな心の痛みがかつてはあった。でもそれは緩やかに忘れていって、もう完全に記憶にないことだってあるだろう。
忘れる。
それは神様がくれた素敵なプレゼントだ。
いや、それはある意味残酷なプレゼントでもあるんだけどね。だって、いいこともずっと覚えていることは出来ないんだから。至福の時ってのはずっと続かなくて、緩やかに、豊かに忘れていっている。だから忘れることは哀しいことでもあるんだ。
ちょっと告白するけど、ボクはこのblogで忘れる能力って内容を書きたかったわけじゃない。なぜか指がそっちの方へいってしまった。違う違う、そうじゃない。鈴木雅之じゃない。
やっと本題にいきます。
そう、人間は忘れるんだ。
だから、ちゃんと毎回伝えなきゃダメなんだ。
たぶんね、あなたは大切な人にすっごい感謝してるんだと思う。ずっと支えられてきたとか、支えることで幸せをもらっているとか。きっとそうなんだと思う。
でもね、それって言葉にしないと分からないんだ。
伝わってないんだ。
かつては、ちゃんとありがとうっていろんな場面で言えてたんだと思う。でもずっと一緒にいることで相手は自分のことを理解しているとか、なんかもう空気みたいな存在になってそこにいることが薄らいでしまっているとか。相手が言わないからこっちも言わないとか。
人は
忘れるし
心配だし
不安なんだ。
それを解消するのは、まずは言葉なんだ。
大切な相手を我が子だとしよう。我が子が何かした時にちゃんとありがとうと言えているだろうか?子どもが行った小さなことに感謝し、それを言葉にしているだろうか?子どもと絆がある人たちは、これがしっかり出来ているような気がする。ボクが尊敬する、いい親子関係を築いている人はたいがい感謝を述べている。我が子だからやって当然ではなく我が子を対等にみて接している。
それは本当に大事なこと。
ボク達は子どもに、「ちゃんと人にありがとうと言いなさい」ということには意識がいってる。でもその分子どもにありがとうと言うのを忘れていたりする。これを灯台下暗しというのか、やっさんのメガネはどこだというネタと同じなのかどうかは分からないが、最も大切なことを忘れていたりする。
ありがとうを教えるには、ボクらが子どもたちに心からありがとうと言わなければいけない。心からのありがとうをもらえると嬉しいということを教えてあげなくてはいけない。
これが、背中を見せるってことだと思う。
そして、これはボクの持論。
ありがとうは言われるよりも、心からのありがとうを言える方が幸せ。
こういうこと。
ボクらがありがとう言える幸せを身を以て体感し、その幸せをみせてあげよう。
それは何度でも、何度でも。
毎日、毎日忘れずに。
そうなると
あなたが幸せ
子どもも幸せ
周りも幸せ
ボクも幸せ。
感謝を伝えることを忘れずに、4つの幸せをゲットしよう。
Forgetではなく、4つの幸せをゲットする、4ゲットでね。
ちゃんちゃん。
そしてどの過去blogも参考にしてないよね。