うーん、筋肉痛です。
バリバリ身体が悲鳴をあげています。
でも、だるいんだけどなんとなく心地よい。
それは、これは身体に筋肉ついちゃうんじゃない?
とか
痩せれるんじゃない?
とか
そのだるさはその日が充実した証って思えたりしているからかな?
はいどうも、ボクです。
今日のblogの序章はここまででこれからが本番なんですが、題名とこの序章でボクが今日何が書きたかったかを分かった人はまあまあの人です。自分で自分を褒めてくださいね。分かってくれた場合は、ボクも自分で自分を褒めますから〜。
過去が今を決めることってあります。
はい、例えば身体の筋肉ですね。こればっかりは今日その場でムキムキになるわけではありません。日頃の習慣の積み重ねが少しずつ身体を作っていき、自分の理想に近づくことができていくわけです。
テストや試験に受かることもそうでしょうか。
そして時間がかかる技術の習得もそうでしょうか。
そうゆうことはやっぱり一朝一夕では無理なんです。なりたい自分になるために必要なこと、やりたいことをやるために必要なこと、それが時間がかかることであるならば、少しづつでも毎日の習慣とし、やり続けるしかないのです。
あんときやっとけばよかった。
そんなことを思うことあると思います。
でも、それは今から始めたらいい。
今から始めることが無理なことであれば、今やりたいことを探し、その心に素直に従えばいい。
結構単純なことですね。
そう思えないときは、やらずに一生後悔してくださいね^^
どのようにそれをやるのか?なんて方法はたくさんありますよ。
っと、ちょい話がそれました。
過去が今を決めることがあります。
でも、今が過去を決めることもあります。
いや、むしろこっちの方が多いことのような気がしています。
それは、ココロ。
ちょっと可愛さをアピールしたかったのでココロとカタカナにしてみました。どうでしょうか?
話が本当にそれた。
ココロが変われば、過去は変わります。
これは間違いないです。
例えば
昔、めちゃくちゃ厳しい先生がいました。拳骨が飛ぶような先生でした。(この拳骨はゲンコツと書くより痛そうでしょ?)
無愛想で、ただ厳しい先生。
あなたは嫌いな先生でした。
でも、大人になって久しぶりに再会した。
そこで、二人で一緒に呑むハメになった。
嫌々ながらも、一緒に呑んだ。
そこで聞かされたのは、生徒への愛だった。
とにかく、めちゃめちゃ生徒のことを考えていた先生だったんだ。
あのときの拳骨は、本当に愛だったんだ。
そう思えたとき、過去は変わると思いませんか?
ある意味、憎しみが尊敬に変わり、愛に変わる。
そうなると思いませんか?
ちょっと極端な例ですが、これは別に実際に会わなくても同じことなのです。自分の思考が変われば、過去は変えることが出来るのです。
もし、これまでのいろんな出来事をありのままに受け入れて、そして少しでも感謝をすることが出来るようになれば、今この瞬間から過去を変えることが出来るようになります。それは間違いないことです。
序章の、だるいから嫌と思うのと、だるいのは充実の日を過ごしたって思えるのとでは全然人生の一日が違うでしょ?
今日、一番言いたかったこと書きます。
すべての出来事が、今の自分をつくってくれています。
今から何を積み重ねていくのか?
今何を感じながら生きていくのか?
それが、幸せな「今日」をつくっていくのです。
幸せは過去にはなく、未来にもなく、今この瞬間にしかないのですから。
今この瞬間の幸せが、幸せな過去をつくることでもあり、幸せな未来をつくっていくことでもありますけどね^^